御朱印紀行文No.5【養源院】
寺号と血天井に込められた意味
養源院の概要
今回ご紹介するのは三十三間堂の程近くにある養源院です。豊臣・徳川両家にゆかりあるこのお寺からは、戦乱の世に生きた人々の想いが伝わってきたような気がしました。皆さんはこの「養源院」という名や血天井に込められた意味を知っていましたか?
養源院の歴史
浅井長政と織田信長
天下布武を掲げ京への上洛を目指す織田信長にとって、浅井長政が治める近江の地は最大の要所でした。そこで信長は妹であるお市の方を浅井長政に嫁がせることで上洛を実現したのです。
浅井家の滅亡
しかし浅井家と織田家の良好な関係は長くは続きませんでした。元亀元年(1570年)浅井家は古くから同盟関係にあった朝倉家と共に織田家追討に参戦します。信長は長政の裏切りに対して大いに怒り、一乗谷城の戦いにて浅井家を滅亡させてしまうのでした。
生き残った浅井三姉妹
(写真:浅井三姉妹 相関図)
浅井三姉妹とは浅井長政とお市の方(織田信長の妹)の間に生まれた茶々、初、江の3姉妹のことで、彼女らは織田家の血縁関係にあたるということもあって共に生き残ることができました。上の図を見ていただければ分かるように、まさに戦国時代の渦のど真ん中にいた姉妹ですよね。
浅井三姉妹の悲劇と養源院の誕生
後に豊臣秀吉の側室となった茶々(淀君)はその父である浅井長政公の菩提を弔うため、文禄3年(1594年)に養源院を創建しました。そしてこの「養源院」という名は浅井長政公の戒名にほかならないのです。
一方で茶々の妹である江は2代目将軍徳川秀忠の正室となっていました。つまりこの2人は豊臣家VS徳川家の争いの中、姉妹で敵味方となってしまったのですね。
豊臣家の滅亡と養源院の再興
大坂夏の陣にて敗れた茶々はその子の豊臣秀頼ともに自刃し、ここに豊臣家は滅亡してしまいます。その後は妹である江が、火災で一度消失していた父の菩提寺 養源院再興のために立ち上がります。
しかし父の菩提寺であるとは言えども、江が徳川宗家の大御台所の立場で豊臣家が創建した寺院を再興するには「それ相応の理由」が必要でした。
伏見城の遺構を用いて
伏見城は豊臣家VS徳川家の争いの中で、唯一徳川方が全壊させられた伏見城の戦いの舞台でした。籠城していた徳川方の総大将 鳥居元忠公はその家臣らとともに自刃し、伏見城の廊下は血の海に染まったと伝わっています。
そして、江が養源院を再興するために用いたものこそが徳川軍の血で染まった廊下(血天井)をはじめとする「伏見城の遺構」だったのです。江は戦で亡くなった徳川方の人々の菩提を弔う役割を養源院に持たせることで、父の菩提寺の再興を成し遂げたのですね。ちなみに江自身の墓もこの養源院に創られました。
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」
今回は養源院ゆかりの浅井三姉妹に焦点を当てた大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」についてもご紹介しておきます。戦国時代が好きな方だけでなく逆にあまり詳しくない方にとっても非常に面白い内容になっているので是非見てみてください。
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境内の雰囲気
本堂
本堂は伏見城の殿舎を移築したものとされており、秀吉が伏見城に祀っていた大聖歓喜天が安置されています。私は秀吉の学問所であった「牡丹の間」から、敷居を隔てて数百年の年月を超えた空間が存在しているような荘厳な雰囲気を感じました。
また血天井には今もなお徳川兵の血痕が残されており、鳥居元忠公のものと伝わる血痕についても住職が事細かに説明してくださりました。
襖絵と杉戸絵
(写真:唐獅子図)
俵屋宗達が杉戸の象や唐獅子や麒麟などを図案化した襖絵や杉戸絵も大きな見どころでした。湯川秀樹氏がこの杉戸絵を見て「宗達は木材の木目を唐獅子の毛並みとして表現している」と言って感激していたというエピソードもあるそうです。
個人的にこれまで訪れたお寺の中で、住職による説明が最も詳しいお寺だったように感じました。拝観されている方々を引き連れて、順番にお寺の見どころを丁寧に解説していただいたことが印象的でした。
山門付近
(写真:養源院 山門とその付近の黒猫)
養源院の正面にある山門付近にはたくさんの黒猫がくつろいでいる姿がありました。向かい側に位置する三十三間堂などに比べると、拝観客も少ないので猫も過ごしやすいのかもしれませんね。
御朱印の紹介
受付にて書置きの御朱印を頂けます。中心には「雨寶殿」と書かれています。
皆さんも御朱印巡りを始めてみませんか?
価格:2,380円 |
基本情報
アクセス:市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」下車 徒歩約3分
京阪電車「七条」下車 徒歩約10分
(https://maps.app.goo.gl/rHNddhSEiFJgA3Va7?g_st=il)
参拝時間:9時~16時
拝観料:600円
お問い合せ:075-561-3887
参考資料
・攻城団
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御朱印紀行文No.4【教王護国寺(東寺)】
都のシンボルと仏像オールスター
(写真:東寺 五重塔)
教王護国寺(東寺)の概要
教王護国寺とは通称を東寺の名で親しまれている京都のお寺です。東寺は創建から1200年もの歴史を誇り、1994年に世界文化遺産にも登録されています。
(写真:東寺 南大門・五重塔)
またJR京都駅からも程近く、修学旅行や遠足などでバスに乗って京都に訪れたことがある人の中には、こうした風景に見覚えがある方も多いのではないでしょうか。
ではそんな京都のランドマークの一つである東寺はどのような歴史を持つお寺なのでしょうか。
東寺の歴史
(写真:平安京 略地図)
794年桓武天皇により都は平安京に遷都されました。当時の平安京には都の中心を南北に貫く朱雀大路や羅城門が存在していました。羅城門をくぐり抜けた東側の東寺(黄色い丸印)は西側の西寺と共に、左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持つ官立寺院として建立されました。
(写真:平城宮跡※イメージ画として)
ちなみに朱雀大路は自動車道路の25車線分に相当する道幅であったことなどから、日常の通行に使用されていた可能性は低く、外交使節への示威あるいは大嘗祭や軍隊の出征や凱旋のために使用するなど朝廷権威の誇示を目的として区画整理されたエリアであったと考えられています。つまり平安時代から東寺は京都のランドマークだったんですね!
東寺と弘法大師 空海
東寺が空海と出会うのは平安遷都から29年後のことでした。桓武天皇の後に即位した嵯峨天皇は、遣唐使として密教を学んだ空海に東寺を託したのです。
そして空海こそが現在に受け継がれる東寺の姿を創り上げた人物で、五重塔をはじめとする伽藍(寺院施設など)はこの頃に大規模な整備がされました。
戦乱の世を経て
平安時代末期になると源平合戦が勃発します。激しい合戦で羅城門は崩れ落ち、東寺、西寺ともに衰退の一途をたどることになるのです。西寺は五重塔が焼失するのを契機に復興することはありませんでした。
一方で東寺は南北朝時代に足利尊氏の本陣が置かれるなど、応仁の乱をはじめ幾多の戦禍や焼失・落雷を経験しながらも、朝廷や仏師だけではなく豊臣秀頼や徳川家康ら大名にも再建されながら現代へと受け継がれてきたのです。
立体曼荼羅
東寺を訪れた際に必ず見るべきものは、上の両界曼荼羅図を仏像を用いて立体化した立体曼荼羅ではないでしょうか。日本史の教科書にも登場する不動明王像に出会えるのもこの東寺 講堂の最大の魅力の一つです。
元来、曼荼羅とは密教の教えをわかりやすく表現したもので理と智慧ちえという教えを伝えているものです。人々は不動明王には敵国退散・疫病退散などの現世利益を祈り、阿弥陀如来には極楽浄土への導きを祈りながらこの講堂を訪れたことでしょう。
空海は大日如来や不動明王、阿弥陀如来などの仏像を講堂に安置し、曼荼羅の中心に大日如来が描かれているように、東寺の中心に大日如来を安置することで寺域を巨大な曼荼羅にレイアウトしたんですね。
もっと詳しく知りたい方へ
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御朱印の紹介
「弘法大師」
東寺の姿を創り上げた弘法大師(空海)のお名前を力強く書いて頂きました。
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基本情報
〈アクセス〉(https://maps.app.goo.gl/T4b2gNXQmb2S4CF78?g_st=ic)
・JR京都駅八条口より徒歩15分(約1.1km)
・近鉄東寺駅より徒歩10分(約0.6km)
・阪急大宮駅で下車し、バスにお乗り換え
市バス18系統、71系統、207系統「東寺東門前」より徒歩1分
〈開門時間〉
5:00~17:00
〈拝観時間〉
金堂・講堂→8:00~17:00(16:30受付終了)
宝物館・観智院→9:00~17:00(16:30受付終了)
〈拝観料金〉
御影堂・食堂→無料
金堂・講堂・五重塔→有料
※時期・時間帯による
参考/引用資料
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御朱印紀行文No.3【二尊院】
百人一首の聖地に佇む
二尊院の概要
京都嵐山の竹林の先にあるのは小倉山の緑と静寂が心地よい二尊院。渡月橋や駅前の賑やかな雰囲気のエリアからは少し離れた所にあるお寺です。
二尊院の名前の由来は「釈迦如来(発遣の釈迦)」と「阿弥陀如来(来迎の阿弥陀)」の二尊を祀る寺院であるということで、正式名称は「小倉山二尊教院華臺寺」とのことです。
二尊院の歴史
(写真:二尊院 総門)
二尊院の歴史は平安時代初期の承和年間(834-848年)に遡り、嵯峨天皇の勅願で円仁(慈覚大師)が建立したものと伝わります。その後一度は荒廃するものの、鎌倉時代初期には法然の弟子らによって再興されました。
二尊院には土御門天皇や後嵯峨天皇らをはじめとする天皇の戒師となる僧も存在したことから、天皇家ゆかりの寺院でもあるようです。
境内の雰囲気
(写真:二尊院 本堂)
写真左手の場所で靴を脱いで本堂を一周することができます。砂利が敷き詰められ綺麗に剪定された前庭と山の緑が見事に調和しています。
嵐山の竹林エリアなどと比べると他の観光客の方も少ないので、その景観と静寂を楽しみながらゆっくりと過ごすことができました。
御朱印の紹介
本文でも紹介した二尊の御本尊を意味する「本尊二尊」の御朱印です。
※御朱印をお求めの方は本堂に入ってすぐの窓口にて御朱印帳を預けてから見学をすることをお勧めします。
皆さんも御朱印巡りを始めてみませんか?
価格:2,380円 |
基本情報
〈アクセス〉(https://maps.app.goo.gl/sqAbu5uVgYfBxnMy6?g_st=ic)
市バス嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約10分
京福嵐山本線 嵐山駅下車 徒歩15分
JR山陰本線 嵯峨嵐山駅下車 徒歩19分
〈拝観時間〉
9:00~16:30(受付終了)
休日
なし
〈拝観料金〉
一般
大人(中学生以上):500円
小人(小学生以下):無料
団体(30名以上)
大人(中学生以上):450円
小人(小学生以下):無料
※障害者手帳をお持ちの方は、受付にて障害者手帳を提示することで無料
参考資料
・二尊院 公式HP(https://nisonin.jp/about)
・二尊院 パンフレット等
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御朱印紀行文No.2【北野天満宮】
平安時代の秀才を祀る
学問の神様 菅原道真
北野天満宮に祀られている神様と言えば、学問の神様で知られる菅原道真(菅公)。修学旅行や受験の合格祈願などで訪れたことがある人も多いのではないでしょうか。
菅原道真公(845-903年)は平安時代に実在した貴族で、その能力の高さから宇多天皇に重用された後、醍醐天皇の時代には右大臣にまで上り詰めた人物です。彼が成し遂げたことの一つとして894年遣唐使廃止の提言がありますが、これは学生時代に「白紙(894)にしよう遣唐使」という語呂合わせでお馴染みですよね笑
しかしそんな秀才も当時絶大な勢力を誇っていた藤原一族にとっては目の上のたんこぶでした。901年藤原時平は「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」との讒言により菅原道真を失脚させ、太宰府へと左遷してしまうのでした(昌泰の変)。
そして太宰府へと左遷されてから2年経たずして菅原道真公はこの世を去ってしまいます。
菅公の死後と北野天満宮の起こり
しかし物語はここでは終わりません。道真の死後、朝廷では後継者の急死や清涼殿への落雷など予期せぬ災いが多発しました。こうした度重なる不幸に対して人々は「これは左遷され無念の中で死に見舞われた道真の祟りだ」と考え、道真の御霊を鎮めようと火雷神が祀られていた北野神社に道真を祀るようになりました。そしてここに後の北野天満宮が成立したのです。ちなみに太宰府天満宮も道真の御霊を鎮めるべく建立された神社です。
参道と見どころ
参道の見どころはなんと言っても梅の花ではないでしょうか。
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)
これは太宰府に左遷される前に道真が詠んだ歌です。現代語訳は「春風が吹いたら、匂いを(京都から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主人(道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。」というもので寂しくも切ない想いが伝わってきますね。このように、梅の花は京都を去る際の心の癒しとなった道真にとって特別なお花でもあるのです。
御朱印の紹介
「奉拝 北野天満宮」の御朱印を頂きました。梅の花の朱印も美しいですね。
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御朱印紀行文No.1【伊弉諾神宮】
今回から始めるのが神社・仏閣紹介です。私が訪れた神社・仏閣で触れることができる歴史などを紹介していきます!このブログを見た皆さんが少しでも神社・仏閣を楽しんでもらえれば幸いです。ではさっそく見ていきましょう!
今回は伊弉諾神宮です。こちらの神社は瀬戸内海に浮かぶ島である淡路島(兵庫県)にあるのですが、なぜ淡路島なのでしょうか?
それにはあの有名なお話が関係しています!
古事記~国生み神話~
そう、これはかの日本最古の歴史書としても有名な「古事記」の国生み神話が大きく影響しているんですね。
古事記ではイザナギノミコトとイザナミノミコトによって今の日本列島が作られる様子(国生み)が描かれています。その中で日本の国土の中で最も初めに作られたとされているところこそが淡路島だとされているんです。
その後イザナギノミコトは子であるアマテラスオオミカミに神権を譲り、いわゆる隠居をするのですが、そのイザナギノミコトが余生を過ごした隠居の地がこの伊弉諾神宮だとされています。
夫婦クス
神社の敷地の中には樹齢約900年ともされるクスノキがあり、こちらもとてもパワーを感じました。
神社の中の様子
敷地内は白い砂利の効果もあってかとても明るいように感じました。みなさんも淡路島に足を運んだ際には、ぜひこの伊弉諾神宮の神聖な雰囲気を体感してみてください。
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